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『制作者の意図しないところで好作となった』
今では書店でもすっかりお馴染みとなった神対シリーズの最新刊。
私的にはニールの近辺に居る少々人間より進化した何らかの存在が、「神だとしたら」たぶんこう言うよね、という形でニールから答えを出すシリーズと受け止めている。
もちろん内容さえ役立てば、誰が言うかは大した問題ではないし、ひとえに神と言ったって、人によって定義は異なるので別段嘘を付いているわけではない。この霊にしたところで、分かりやすくしようと思って敢えて行っている演出ゆえ、特に悪意が有るわけではないと思う(P91でもつい「私たち」と自分が宇宙の一員に過ぎない点をうっかり言ってしまっているのだが…)。
さて今回の内容だが、過去の神対シリーズの中でも制作者たちが意図しないところで?、思いがけぬ好作となっていると言える。それに大いに貢献しているのが、何の遠慮もなく、明け透けにズケズケと聞きたいことを聞いてくる若者達である。
バシャール、神対といったチャネリングの大半に言えることだが、どうしてもその答えを提供する存在が人間感覚を肌身に感じられるところに居ないので、回答は全般的にどこかフワフワしていて掴みどころが無い。正しいんであろうことはロジックとしては理解できるのだが、どこか一貫して抽象的、理論的、マクロ的、理想的であって日常生活にそのまま適用できる実際的な答えか、と言われると疑問が浮かぶモノが多い。大人の自分でさえ適用をすぐには想起できない場面が多いのだから、Teenagerであれば尚更であろう。
もとより、こういう究極的理論と実際生活とのずれというのは、はるか昔から起きている問題ではある。例えば禅でも、究極的理論の人間は本来悟った存在である(頓悟)という立場と次第に悟りを得る(漸悟)という立場の対立が有った。しかし、実際の日常生活のレベルでは、そういう究極的悟りの意識にはほとんどの人間は及ばない、という実際に気付いたのであった。
そういう意味で、究極的理論の斬新さに酔痴れた一部のニューエイジャー達が、どこかフワフワと現実逃避しており、日常生活でさえも危うい位無意味に楽観派である原因もこういうところに依る。
そういう人達には「好きな事さえしてればいい」という匙投げ的な、一見分かった風で分かっていない言葉よりも、マークトゥエインの「2匹の蛙を呑み込まないといけない時は大きい方から呑み込みなさい。それもあまり長く見つめてはダメ」という至極実際的な言葉の方を謹呈したい。
ともかく、若者達は怖いもの知らず。得意げに回答するニールの神さまに、妙に遠慮することなく、「さっぱり分からない」とか「はぁ?」とか思ったままに言ってくれる為、実に小気味が良い。
また人の話をろくに聞いてないのだろう、同じ質問を何度も何度も繰り返してくるのも微笑ましい。いや、かえってそのくらいで良い。何度も何度も抽象的、理論的、マクロ的、理想的な答えをしておいて、これで分かってもらえただろうと勘違いの自己満足に浸ろうとするニールの「神さま」を執拗に地に引きずり下ろす若者達の質問攻めによって、今回色々と具体例も挙がるようになり、以前の著書に比べ、だいぶ実用的で分かりやすいものとなった。
やはりこうした質疑応答では何度でもひつこく質問して、相手の霊をトレーニングしてあげる必要が有る。こういう住む世界が違う霊は、どうしても人間の日常を肌身に感じられない立場に有る。聞く側はもっと具体的にズケズケと聞くべきだ。その体験が向こう側の霊の経験も増し、さらに有用な対話となるのに役に立つ。今回ニールの「神さま」もそういった面で若者たちにビシバシと鍛えられ、一皮向けたというか、かなり「進化」した感が強い(笑)。
最後にアメリカ在住の霊なので、金や性への欲の無さ、故人への思慕等々といった東洋的観念の意識は薄いのはご愛嬌。自分がギラギラした欲も有るアメリカ人で、たまにチャペルにも通っているといった想定で読めば、より分かりやすく読めると思う。